大切な家族を失った友人や同僚に接する際、私たちは「何と言えばよいのだろう」「どう支えればいいのだろう」と悩むものです。悲しみに暮れる人の気持ちに寄り添いたくても、どんな言葉が適切か分からず、声をかけるのをためらってしまうこともあるでしょう。しかし、身近な人が孤立せずに悲しみと向き合えるよう支えることはとても大切です。この記事では、家族を亡くした人への適切な言葉のかけ方や接し方のポイントについて、心理の専門家や宗教者の見解、公的ガイドラインなどを参考にしながら解説します。避けるべき言動や傾聴の姿勢、無理に励まさないことの重要性にも触れ、大切な人を亡くした方に寄り添うための知恵をお届けします。
目次
遺族の心情を理解する – 深い悲しみと心の変化
大切な人との死別は、人生で最も大きなストレスと言われます。遺族は想像を絶する深い悲しみに直面し、心身にさまざまな反応が生じます。典型的なグリーフ(悲嘆)反応としては、強い悲しみ・落胆、後悔、怒り、孤独感といった感情のほか、不眠や食欲低下、胃腸の不調など身体面の症状も現れることがあります。こうした反応はごく自然なことであり決して異常ではありません。たとえば「何も手につかない」「生きる気力が湧かない」といった状態に陥る遺族も少なくなく、ある調査では突然の死別を経験した遺族の約3割が体調を崩し、同じく約3割が「生きがいの消失」を訴えています。それほどまでに、愛する人を失う喪失感は心に深い傷を残すのです。
遺族の心理状態は人それぞれですが、時間の経過とともに心の状態も変化していくとされています。グリーフケアの専門家によれば、多くの遺族は次のような段階的プロセスを経ることが知られています。
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ショック期:訃報を受けた直後。現実感がなく頭が真っ白になる、感情が麻痺するなど、強い心理的ショックを受ける段階。突然の死別ではパニック状態に陥りやすいとも言われます。
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喪失期:徐々に現実を実感し、深い悲しみや絶望感に襲われる段階。涙が止まらなくなったり、不眠・食欲不振が続いたりします。自責の念(「自分のせいで死なせてしまったのでは」)、あるいは故人への怒り(「どうして私を残して逝ってしまったのか」)が生じることもあります。周囲との関係がぎくしゃくしたり、社会的に孤立してしまう人もいます。
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閉じこもり期:悲しみが長引くと、心を守るために一時的に感情を閉ざしたり、引きこもったりすることがあります。いわゆる「立ち直れない」状態ですが、これは必要な心の防衛反応でもあります。無理に明るく振る舞おうとしたり、逆に感情を抑圧し過ぎたりする人もいます。この段階の人は一見落ち着いて見えても、内心では深く傷ついている場合がある点に注意が必要です。
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再生期:やがて少しずつ感情が和らぎ、生活への意欲や笑顔が戻ってくる段階です。ただし悲しみが完全に消えるわけではなく、波のようにぶり返すのがグリーフの特徴です。特に一周忌や故人の誕生日、お盆やクリスマスといった記念日・節目の時期には「記念日反応」として悲しみが強まることが知られています。月日が経って普段は元気に見える人でも、ふとした折に涙がこぼれることもあります。
重要なのは、以上のプロセスや反応はあくまで「一般的な傾向」であり、悲しみ方や立ち直りのペースは人によって大きく異なるということです。突然の事故死と長い闘病の末の死では受け止め方も違いますし、亡くなった方との関係性(親子・配偶者・兄弟姉妹など)によっても悲嘆の色合いは異なります。また、中には悲しみが何十年にもわたって癒えないケースもあります。周囲から見れば「もう十分時間が経ったのに」と思えるような後でも、遺族が心の中で深い悲しみを抱え続けていることは珍しくありません。時間が経てばすべて解決するとは限らない──このことを私たち支える側は心に留めておく必要があります。
寄り添うための基本姿勢 – 悲しみを否定せず、そっと支える
遺族を支える上でまず大切なのは、相手の悲しみや感情を否定せずに受け入れる姿勢です。大切な人を亡くした直後の深い悲しみは、ごく当たり前の反応です。「泣かない方がいい」「早く元気にならなくちゃ」などと悲しみを抑え込ませようとするのは逆効果になります。仏教僧侶でグリーフケアに取り組む秋山智さんも「悲しみは乗り越えなければいけないものではない」と述べています。涙が出るほど悲しいのは、それだけ故人を大事に思っていた証です。「泣かないで」「しっかりして」などの励ましは禁物であり、まずは相手のありのままの感情に寄り添うことが何より重要です。
無理に励まさない – “解決”より寄り添いを
親しい人の落ち込む姿を見ると、「早く元気になってほしい」「何とか力になりたい」という思いから、つい励ましの言葉をかけたくなるかもしれません。しかし、グリーフケアの現場では「周囲の人は、死別の悲しみを解決しようとしないこと」が大切だとされています。たとえば「頑張って」「元気出して」「早く普段の生活に戻らないと」等の言葉は、励ましのつもりでも遺族にはプレッシャーや負担となり得ます。悲しみに沈む当人からすると、「これ以上何を頑張れというの?」「こんなに辛いのに簡単に元気になんてなれない」と感じてしまうのです。結果として、そう言われた遺族は傷ついても反論する気力もなく、「元気になれない自分が悪いのか」と自己嫌悪に陥ってしまうことさえあります。
実際、所沢市が公表している自死遺族支援のガイドラインでも、「安易な慰めや励ましをしない」ことが周囲の対応の基本に挙げられています。「あなたのためを思って言っている」つもりの言葉であっても、悲しみの只中にいる人には届かないばかりか、かえって孤独感を深めさせてしまう危険があるのです。ですから、遺族を励まそう、元気づけようと焦らないことが肝心です。「悲しませないようにする」のではなく、「悲しんでいる人が必要なときにそばにいる」ことこそが最も大切だと心得ましょう。
話を聴く姿勢 – 共感と沈黙のバランス
では具体的に、どのように接すればよいのでしょうか。基本は「寄り添って話を聴く」ことです。相手が話し始めたら、最後まで遮らずに耳を傾けましょう。相槌や相手の言葉の繰り返しなどを交え、「ちゃんと聞いているよ」「あなたの気持ちを受け止めていますよ」という姿勢を示すことが大切です。たとえば相手が「夜になると色々思い出して眠れなくて…」と打ち明けたら、「そうなんだね、夜になると眠れなくなるほどいろいろ考えてしまうんだね」とそのまま繰り返してみます。これは心理カウンセリングでも使われる手法で、相手に安心感を与える効果があります。
注意したいのは、相手の話を自分なりに解釈してアドバイスしたり評価したりしないことです。遺族の語る思いは非常に個人的で繊細です。「それは○○ということだよね」などと早合点してまとめたり、「自分も昔同じ経験をして…」と自分の話にすり替えるのもNGです。そうされると、多くの遺族は「この人には分かってもらえない」と感じて口を閉ざしてしまいます。たとえ善意でも、的外れな分析やアドバイスは「聞き手の無理解」と受け取られ、相手を傷つける可能性が高いのです。
沈黙を恐れないことも大事です。ときには、話すことができずに黙ってしまう遺族もいるでしょう。無理に話させようとせず、沈黙の時間も含めてそばに寄り添うようにします。言葉が見つからないほどの悲しみの中では、下手な言葉より静かな付き添いそのものが支えになることもあります。実際、米国のグリーフケアの専門家ストローザー氏は「言葉が見つからないときは、何も言わないのが正解なこともある」と指摘しています。勇気を出して話題に触れること自体は大切ですが、同時に「隣に黙って座っているだけで十分な場合もある」ことを覚えておきましょう。
相手が話したがっている様子なら、ゆっくり時間をとって聞くようにします。一方で、まだ気持ちの整理がつかず何も話せない段階の人もいます。悲しんでいるように見えない人ほど、実は深く悲しんでいる場合もあります。そういう時期には「無理に聞き出さない」ことが鉄則です。「話したくなったらいつでも聞くよ」というスタンスで臨み、相手のペースを尊重しましょう。
かけるべき言葉と言葉選びのポイント
どんな言葉をかければ良いかは、多くの人に共通する悩みです。完璧な正解はありませんが、基本は「相手の心に寄り添い、支えとなる言葉」を選ぶことです。形式ばった慰めよりも、心から相手を思う気持ちを伝えることが大切です。以下に、シーン別・状況別の適切な言葉の例を紹介します。
お悔やみの言葉(葬儀の場面)
ご家族を亡くされた直後(通夜や葬儀の場)では、まずは一般的な弔意を伝える定型の言葉が相応しいでしょう。日本では弔意を表す代表的な言葉として以下の二つがよく使われます。
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「ご愁傷様です」 – 故人を失った遺族への労わりと悲しみに対するお慰めの気持ちを込めた表現。「このたびは誠にご愁傷様です。」のように用います。
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「お悔やみ申し上げます」 – 故人の死を心から残念に思い、悲しみを共にする気持ちを伝える表現。「心よりお悔やみ申し上げます。」といった形で使います。
いずれも丁寧で改まった言い方なので、葬儀の席や職場での公式な場面でも適切です。実際の例文としては、「このたびは突然のことで誠にご愁傷様です。心よりお悔やみ申し上げます」などとするとよいでしょう。宗教・宗派ごとの細かなマナーはありますが、上記の言葉は宗教を問わず使える表現です。(キリスト教式なら「安らかにお眠りください」「神様の平安がありますように」といった言葉も用いられます。)
葬儀の場ではあまり長く込み入った話をする時間もありませんので、ひとまず簡潔にお悔やみを述べるだけで十分です。その際、表情や声色からあなた自身が心から惜しみ悲しんでいる気持ちを伝えられると理想的です。型通りの言葉でも、大切なのは形式ではなく真心です。儀礼的になりすぎないよう、相手の目を見て丁寧に伝えましょう。
遺族に寄り添う言葉(励ましではなく共感の言葉)
葬儀が終わり、日常生活に戻った遺族と接する際には、共感と支援の気持ちを伝える言葉をかけるとよいでしょう。以下は専門家や支援団体が紹介している、遺族が「言ってもらえたら救われる」と感じる言葉の例です。
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「私に何かできることがあれば言ってくださいね」 – 遺族から何か助けが必要なとき、遠慮なく頼ってほしいという意思を伝える言葉です。「困っていることがあれば何でも言ってね」など、できる範囲でサポートする用意がある旨を伝えます。ポイントは「あなたの力になりたい」という気持ちを明確に示すことです。
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「大したことはできませんが、私でよければいつでもそばにいます」 – 直接の解決策は提供できなくても、寄り添い続ける意思があることを伝える表現です。「何もできないかもしれないけど、一緒にいることぐらいはできます」といった言い方も良いでしょう。遺族にとって「一人にしないでくれる存在」がいる安心感は大きな支えになります。
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「愚痴でも何でも、いつでも言ってね」 – 悲しみや不安、怒りなどどんな感情でも受け止める準備があることを示す言葉です。遺族は周囲に遠慮して本音を隠しがちですが、「どんなことでも話していいんだ」と思えるだけで心が軽くなるものです。「どんなことでも聞くからね」「つらいときはいつでも話してね」と伝えてあげましょう。
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「本当に大変だったね。少しゆっくり休んでください」 – 葬儀や諸手続きで心身ともに疲弊している遺族をねぎらう言葉です。「ご苦労様でした」といたわり、「無理しないで少し休んでね」と休養を促します。遺族の多くは気丈に振る舞おうとしますが、実際には極度の疲労状態にあります。労いと休息の許可を与えるこの言葉は、多くの遺族に安心感をもたらします。
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「○○さん(故人)との楽しかった思い出を、いつか聞かせてください」 – 故人の話題に触れることをためらう人も多いですが、遺族は故人のことを忘れてほしいわけではありません。むしろ、大切な存在について誰かと語り合いたいと望む人もいます。「あなたの大切な人のことを私も覚えていますよ」という姿勢で、そっと切り出してみるのもよいでしょう。ただし、タイミングは慎重に選びます。相手がまだ話せそうにない時期であれば無理強いは禁物です。
また、直接的に故人や死の話題に触れるのが難しい場合、以下のような共感を示すクッション言葉も役立ちます。
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「言葉にならないよね…」 – 適切な言葉が見つからない状況に共感を示す一言です。「なんて声をかけたらいいか、自分も言葉が見つからないよ…」と正直に伝えるのも、相手の気持ちを代弁することにつながります。ライフハッカーの記事では「『言葉にならない』状況はよくわかります」といった表現も紹介されています。
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「全部は分かってあげられないけど、本当につらいよね」 – 遺族の苦しみに理解を示す言葉です。「あなたの気持ちを完全に理解することはできないけど、さぞつらいでしょうね」という言い方で、安易に「分かるよ」とは言わずに痛みに共感します。これは「自分にあなたの苦しみを完全には分かれない」と謙虚に認めつつ、「でも、少しでも察して支えになりたい」という姿勢を示す表現です。
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「ゆっくりでいいんだよ」 – 急かさず相手のペースを認める言葉です。アメリカでご主人を亡くしたある女性は、「しばらくは迷ってもいいんだよ。すぐに答えなんか見つからないよ」と言われたことに救われたと述べています。この一言によって、「喪に服す時間や息抜きをしてもいいんだ」と自分を許せたそうです。遺族にとって「悲しみは長く続いてもおかしくない」「急がなくていい」という肯定の言葉は大きな安心になります。
以上のような言葉をかける際に共通するのは、相手の気持ちに寄り添い、先回りして結論や解決策を押し付けないことです。形だけの綺麗事や教訓めいたセリフより、「あなたのことを気にかけています」「自分にできることがあれば支えたいです」という思いやりと支援の意思をストレートに伝える方が心に響きます。嘘偽りなく真剣に相手を案じる気持ちを示せば、それはきっと遺族にも伝わるでしょう。
かけてはいけない言葉・避けるべき言動
反対に、善意から出た言葉でも遺族を傷つけてしまうNGワードがあります。知らず知らず口にしがちな表現も多いので、注意しましょう。以下に避けるべき言葉の例と、その理由を挙げます。
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「頑張って」「元気を出して」「しっかりしなさい」
遺族を励ますつもりの言葉ですが、前述のとおりプレッシャーや重荷になる言葉です。「これ以上何を頑張ればいいのか…」と相手を追い詰めてしまう可能性があります。悲嘆に暮れる人にとって、今は涙することも含め必要な時間です。「早く立ち直れ」というニュアンスの言葉は控えましょう。 -
「もう悲しいことは早く忘れなさい」
悲しみの押し付けがましい否定であり、相手の感情を軽んじる発言です。悲しみはそんなに簡単に忘れられるものではありませんし、忘れたいとも限りません。「忘れろ」と言われると「自分の悲しみは理解してもらえないんだ」と感じさせてしまいます。 -
「時間が経てばすべて癒えるよ」
一見もっともらしい慰めですが、遺族にとっては現実味がなく心に響かない言葉です。実際には、時間が経っても癒えない悲しみもあります。むしろこの言葉をかけられると、「そのうち治るはずなのに自分はいつまでも悲しんでいてダメだ」などとプレッシャーを感じる可能性もあります。安易な楽観論は禁物です。 -
「泣いちゃダメ」「涙を見せない方がいい」
涙を禁じる言葉は感情の発露を否定する行為です。冒頭で紹介した秋山智さん(僧侶)の言葉にあるように、「大事な存在を失って泣くことは自然なこと」であり、決して悪いことではありません。それなのに「泣くな」と言われれば、遺族は悲しみの捌け口を失い、かえって不安定になってしまいます。涙は心の浄化作用もありますから、無理に止めさせる必要はありません。 -
「お気持ちよく分かります」「○○の気持ち、私にも痛いほど分かる」
本当に同じ体験をした人同士でない限り、これは避けた方が良い表現です。なぜなら、悲しみは極めて個人的な体験であり、たとえ似た境遇でも感じ方は人それぞれ違うからです。遺族からすると「簡単に分かるなんて言わないで。あなたに私の何が分かるの?」という気持ちになり、逆効果になりかねません。共感を伝えたいなら、「完全には分からないけど…」と謙虚な姿勢を示した上で思いを推し量る表現に留めましょう。 -
「もっと不幸なケースもあるんだから…あなたは恵まれている方だよ」
他の誰かと比較して現在の不幸を相対化しようとする言葉ですが、論外と言えるNG表現です。遺族にとって自分の悲しみは他とは比べられないものですし、第三者にそんな風に評価される筋合いはありません。たとえ事実として「もっと大変な状況の人」がいたとしても、今その人自身が悲しんでいる事実とは無関係です。このような比較は絶対に避けましょう。 -
「これも運命だったのだから仕方ないよ」「受け入れるしかないよ」
死を諦観的に片付けようとする言葉も、遺族の心には刺さります。「運命」「天命」といった言葉は、言われなくても遺族自身が何とか自分に言い聞かせようとしているかもしれません。他人から言われて納得できるものではなく、かえって冷淡に響く可能性があります。「仕方ない」は禁句です。 -
「苦しまなくて済んで良かったじゃない」
例えば長い闘病の末に亡くなった場合などに、第三者がつい口にしてしまいがちな言葉です。「本人はもう痛みや苦しみから解放されたのだから喜ぶべき」という意図かもしれません。しかし、遺族からすれば他人にそんなことを言われたくないでしょう。どんな亡くなり方であれ、愛する人を失った悲しみは計り知れません。「○○なだけマシ」「むしろ良かった」といった言い方は、どんな場合でも避けるべきです。
以上のようなNGワードは、共通して遺族の気持ちに寄り添っていないか、悲しみのプロセスを否定・矮小化してしまう点に問題があります。周囲の何気ない一言が、悲しんでいる人には「心ない言葉」と感じられ、深く傷つけてしまうことがあるのです。特に自死(自殺)で家族を亡くした遺族などは、周囲からの何気ない言葉に敏感に反応しやすく、罪悪感や羞恥心を抱えていることも多いため、いっそう配慮が必要です。
もし何を言えばいいか分からなくなったら、無理に言葉を探す必要はありません。下手な気休めを口にするぐらいなら、黙って隣に寄り添ったり、そっと肩に手を置いたりするだけでも十分気持ちは伝わります。実際、支援現場でも「言葉が見当たらないときは、何も言わない」という選択肢が尊重されています。先述の所沢市のガイドラインでも、「無理に聞き出さない」「安心して本音で語れる雰囲気づくりが大切」と強調されています。大事なのは形だけの言葉ではなく真心と思いやりだという原点に立ち返りましょう。
実務的なサポートと長期的な支え
言葉をかけることと同様に、日常生活での実務的なサポートも遺族には大いに助けになります。家族を亡くした直後は、役所への各種届出や保険手続き、法要の準備や相続の対応など、やるべきことが山積みです。しかし悲嘆とストレスで心身が弱っている中で、慣れない手続きを進めるのは大変な負担です。周囲に余裕があれば、必要な手続きの情報収集を手伝ったり、一緒に役所に行ってあげたりすると喜ばれるでしょう。特に高齢の遺族や、子育て・介護と両立しなければならない遺族には、家事・育児・介護のサポートも検討できます。買い物や掃除、食事の差し入れ、子どもの送迎など、できる範囲で声をかけてみましょう。「家族のことは自分でやらなければ」と真面目に抱え込む人も多いので、周囲から積極的に提案することも時には必要です。
また、精神的な支えとして継続的に気にかけることも忘れないでください。葬儀が終わった直後は多くの人が心配して声をかけますが、時間が経つと周囲の関心は薄れがちです。しかし前述のように、遺族の悲しみがそう簡単に消えることはありません。むしろ落ち着いた頃にふと押し寄せる孤独や悲哀の方が、本人には堪える場合もあります。現にある調査では、死別後に遺族を支えたものとして「家族(74%)」「友人(48%)」が挙げられた一方、「カウンセラーや医療機関の支援」はほとんど活用されていなかったという結果があります。[1]多くの遺族にとって、身近な家族や友人こそが頼みの綱なのです。ですから、「あれからもう○ヶ月経ったけど大丈夫かな」「ちゃんと眠れているかな」などと折に触れて気にかけ、声をかけ続けることが大切です。忘れず気にかけてもらえるだけで、「自分は一人じゃない」と心強く感じられるものです。
具体的には、命日や節目の時期にメールや電話で「最近どうですか?」と連絡してみたり、食事やお茶に誘ってみたりすると良いでしょう。ポイントは相手のペースを尊重することです。誘いに気乗りしないようであれば無理強いせず、「また今度都合のいいときにね」と引くことも大事です。一方で、相手が思いがけず話し始めたときには、忙しくても耳を傾けるよう努めましょう。そうした辛抱強いサポートの積み重ねが、遺族の心の回復を支える力になります。
専門家や支援団体の力を借りることも視野に
身近な人が寄り添うことは大切ですが、場合によっては専門家や支援団体の助けが有効なこともあります。特に遺族自身が深い抑うつ状態に陥っていたり、罪悪感や自責の念で苦しんでいる場合、一人では乗り越えがたいことがあります。近年ではグリーフケアの専門相談や、同じ立場の遺族同士で話し合う自助グループも各地で活動しています。例えば、NPO法人「全国自死遺族総合支援センター(グリーフサポート)」では訓練を受けた相談員による電話相談やメール相談、遺族同士の集い(わかちあいの会)などを提供しています。厚生労働省のメンタルヘルスサイト「こころの耳」でも、「つらいときは専門機関に相談を」と呼びかけています。もしあなたの身近な遺族が深刻に思い詰めている様子なら、「こういう相談窓口もあるみたいだよ」「同じ体験をした人たちが集まる会があるよ」と情報提供してみるのも良いでしょう。ただし、助言する際もあくまで本人の意思を尊重し、望む支援だけを提案することが大切です。嫌がるのに無理にカウンセリングを勧めたりすると、かえって心を閉ざしてしまいます。
おわりに – 温かな寄り添いが悲しみを癒す
身近な人が深い悲しみに沈んでいるとき、周囲にできることは決して多くはないかもしれません。それでも、あなたの優しい言葉や真心のこもった声掛けが、遺族の心を癒し支える力となるはずです。悲しみが消えるには長い時間がかかるでしょう。しかし、「自分のことを想ってくれる人がいる」という安心感は、遺族が孤独の闇に沈み込まず、少しずつでも前を向くための大きな支えになります。親しい友人や同僚だからこそできるサポートがあります。どうか臆せずに、優しい声掛けと温かな寄り添いの気持ちを届けてください。その積み重ねが、いつか遺族の心に灯る明かりとなることでしょう。
脚注