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お金、それとも中身?最近の葬儀の変化について調べてみた

葬儀の変化について

みんなは葬儀をどう考えているんだろう?って思ったことはありませんか?

いざ調べてみるとあっちのサイトとこっちのサイトで言ってることが違う…。

葬儀社で平均額を見せられたけどみんなあんなに払っているの?

おさるくん

葬儀に対する疑問は沢山あるよね。今回は日本の葬儀の方向性について「数字」で調べてみたよ。

では、さっそくみていきましょう。

日本の葬儀はなぜこんなに大変なのか?

お葬式 喪主

祖父の葬儀を見て不安になる

そもそもどうして葬儀・葬式を調べようかと思ったのか?それは、このままだと将来自分が葬儀を開く立場になってしまうと思ったからです。

祖父の葬儀の際、初めて喪主を務めた父親が疲れでヘトヘトになっている姿を見ました。

日本のお葬式って何でこんな大変なんだろうと疑問を持ったところが出発点です。

僕の葬儀のイメージは、

  1. お金がかかる
  2. 手間がかかる
  3. そのくせ時間はない

というものです。

葬儀はもっと安く簡単にできればいいのにと簡単に思って、世間はどう考えているんだろうと疑問にも思いました。

一方で、当事者の祖父は用意周到に死の準備をしていた

一方で、亡くなった祖父自身はというと、実は生前からせっせと死ぬ準備をしていました。

お墓の手配や遺影を撮影したり、院号の戒名をつけるようきっちり指示していたりと葬儀をとても大切にしていました。

実際、悲しむ暇もなく葬儀の準備に追われたりもしました。

葬儀が付き合いのなかった親戚達と話す場になったりとしたときに葬儀には大事な機能もあるんじゃないかと思うようにもなりました。

それがこちらです。

  1. 故人の周囲が死を受け入れる機能
  2. 疎遠な親族や「家」を再認識させる機能

だから一概に高くてめんどいからやめよーぜとも言えないんじゃないかと思うようになったのです。

今までの葬儀と「小さな葬儀」は矛盾するのか?

今、感覚的にですがお葬式は家族だけでしめやかにやりたいという「家族葬」とか墓じゃなくて「散骨」して欲しいとか葬儀の縮小を求める人が増えてきているような気がします。

一方で、故人の遺志を尊重してしめやかに葬儀をしたら、親戚や交友関係から非難されるなどの葛藤もあるようです。

この「最近の傾向である小さな葬儀は今までの葬儀と矛盾するのか」というテーマがニートがお葬式に立ち向かう一番の理由です。

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葬儀ってみんなどう思ってるんだろう?

もしかしたら、葬儀の金銭的な不安を持ってるのって僕がニートだからなんだろうか…。というわけで調べてみました

やはり頭のいい人の解説が安心だろうということで、村上興匡さんという宗教学者の2003年の「葬祭の個人化と意識の変容」という論文を参考にしてみます。

近年の葬儀意識の移り変わり「私的で自由に。」

論文では「東京都生活文化局」が調査してた内容を基に意識変化について触れていました。

葬儀に関するアンケートは全葬連や互助会が主体となったものが多いのですので、公的機関が調べているものとしては珍しいものとなります。

葬儀に対する意識変化「私的に」

全体的な葬儀についての考え 平成13年調査 平成7年調査
葬式は故人とのお別れをする慣習的なもの 65.6% 60.0%
葬式は故人の冥福を祈る宗教的なもの 24.6% 32.4%
お葬式は遺族のために行う儀式である 6.5% 6.0%

都市部の意識として捉える必要があります。

このデータを見る限り、5年間の傾向として宗教意識が薄れ、慣習的な意識が増加傾向にあることがわかります。

続いて家族に限定したものも調査されているので見てみます。

家族の葬儀についての考え 平成13年調査 平成7年調査
故人の遺志を反映したものにしたい 69.3% 56.5%
人並みにいとなめればよい 17.0% 29.7%
遺族の気の済むようにしたい 10.7% 12.8%

家族の葬儀に対する考えの傾向としては「故人の遺志」を重視する傾向が強く、逆に世間体を気にする傾向は明らかに減少しています。

年代別に見ても、全ての年齢層で「故人の遺志」を尊重する割合が増加傾向にあるようです。

全体と家族に対する意識変化について、村上氏の分析も引用しておきます。

7年度調査との比較で明らかになることは、葬儀がより葬られる側のものとして意識されてきているということである。家族の層への考え方では、個人の遺志がより尊重されるようになっている。

これまでの葬儀は「葬る側としての社会的要素」が強かったということですね。

葬儀規模に対する意識変化「自由に」

家族の葬儀規模についての考え 平成13年調査 平成7年調査
親しい人とこぢんまり 51.0% 43.2%
お金はかかっても人並みに 40.9% 51.2%
お金をかけても立派に 0.5% 2.0%

家族の葬儀規模についてはお金をかけるという意識は減少傾向にあり、親しい人と小規模で行うという傾向があるようです。

自分の葬儀規模についての考え 平成13年度調査 平成7年調査
親しい人とこぢんまり 59.1% 47.2%
お金はかかっても人並みに 12.6% 20.6%
行ってほしくない 13.8% 9.4%
お金をかけても立派に 0.3% 0.4%

自分の葬儀規模に関しては、家族よりもまして小規模を望む傾向が強いようです。村上氏の分析です。

これらのことは葬儀が、社会的制約を伴ったものというより、私的で自由なものと考えられるようになったことを示しており、その結果、葬儀は多様化しつつあると考えられる。

明治期も実は「安く」、しかし「社会的で厳かに」

すごく興味深いのが明治30年頃にも葬儀にお金をかけることに対する批判があったことです。

たとえば明治30年代に唱えられた葬儀批判は、父母の葬儀に大きな経費をかけることは、結果として「家産」を傾けることとなり、不合理である。

30年代にも現代と同様、葬儀に対する批判が起こっています。

葬儀に経費をかけるのは合理的ではないという内容でお金の面という点では現代と通じるものが有りそうですね。

ただし、現代と明治期は違う点もあります。

明治中期の風俗改良運動を基にした葬儀批判では、「簡素合理化」と並んで「荘厳誠実」が主張されていた。
…(中略)…
風俗改良の考えに基づいた葬儀批判も、基本的には「家」を中心としたものであったし、明治の葬儀において葬列は、故人及び遺族(の「家」)が、社会に足して葬儀を公に示す機会であったから、会葬者も威儀を糺すことが求められたと考える。

現代と明治期の徹底的な違いは、現代の葬儀批判が「個」を中心としたものであることに対し、明治期の運動は社会的儀礼であることを重視していたという点です。

みんなが疑問に思っていること

自分が参加した葬儀の印象 1992年 1995年 1999年全国 1999年関東B 1999年近畿
形式的 38.2 42.4 41.7 61.4 50.0
もっと質素に 42.8 35.3 34.4 28.1 37.2
世間体や見栄に拘り 37.7 34.7 33.8 36.0 41.0
適当だと思う 29.1 31.4 29.8 26.3 17.9
不要なものが多すぎ 29.0 28.2 28.4 36.0 34.6
派手すぎる 14.1 9.2 9.6 10.5 5.1
もっと厳粛に 9.3 7.0 4.8 0.0 7.7
もっと立派に 0.1 0.7 0.2 0.0 1.3
わからない 4.1 4.9 3.1 3.5 3.8
その他 3.2 2.8 3.4 5.3 1.3
無回答 3.0 3.3 1.4 1.8 1.3

図は日本消費者協会の調査で自分が参加した葬儀の印象の変化です。

1992年の調査では、時期的に葬儀費用が高額であることが問題にされた時期で、「もっと質素にすべき」という意見が多かったです。

その後は「形式的」であることに疑問を持っている人が増加傾向にあり、特に都市部ではその割合が高いようです。

日本消費者協会のアンケートはサンプル数の少なさでなかなか読みとくのが難しいのですが、個人的には都市部の葬儀は地方とくらべて既に全体的に質素なものになっているのだと思います。

地方、都市部共通して「形式的」であることに批判的であるというのがひとつのポイントと言えます。

まとめ:お金に対する不安を持ちつつも、「内容」に対する疑問がある

僕にとっても意外だったのは、お金よりも「形式的」であることに引っかかっている人が多い点です。

明治期の運動と比較して、一番の違いは社会的儀礼の要素が薄れている点があります。

近年、葬儀が個人化していく中で、全体の意識としてお金に対する不安も抱えつつも、形式的で世間体にとらわれている「葬儀の内容」に疑問を持っていると言えるでしょう。

これらを踏まえると、葬儀について考えるべきことが見えてきました。

  1. なぜ今の葬儀の形になっているのか
  2. これからどのように変えていくべきか

この2点がこのブログで調べるメインテーマとなります。Facebookページからいいね!をしていただけると、記事の更新情報が届くのでよかったらどうぞと宣伝をして締めさせていただきます!

出典:『葬祭の個人化と意識の変容』 村上興匡

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