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今日いつもアドバイスをいただいている方とスカイプで2時間弱ぐらいでしょうか、いろいろとお話しをさせていただきました。
正直、ズキン、そしてずっしりときてしまいました。
それは私の心の中でもうすうすと気づいていたことであり、それをズバリと指摘されたからだと思います。
スカイプが終わってぼんやりしていると、フト15年ほど前の高校生だったときのことがよみがえってきました。
ちょうどあのときと同じ心境だったんだと思います。
たしか高2の担任との二者面談のときでした。
そのころ私は勉強などまったくしていなくて、偏差値40台は当たり前、下手すれば30台、そして学年順位は下から2番なんてときもありました。
そんな私を当時の担任のY先生は非常に強い口調でこう言いました。
「お前何考えてんねん!このままやったらほんま行くとこないぞ。
もっと真剣に勉強せな知らんぞ。」 と。
それまでは受験までには何とかなると正直思ってました。
それが真剣に、そして強く言われたことでそれから何か自分の中で変わったのがわかりました。
このままではホントにやばい。がんばらなくてはと。
また、ちょうどそのときいろいろと家庭の事情があり、母の収入だけでは私を大学に行かせることはできず、姉は大学進学をあきらめ就職することになりました。
母は男である私は何とか大学に行かそうと必死に働いていたように記憶しています。
そんなことも重なり私はこれまでの遅れを取り返すべく必死に勉強しました。
そして志望校に合格することができ、奨学金も貸してもらえることになり無事大学に通うことができました。
そして時がたち、大学3年の終わりごろ私は就職先として公務員を目指す決意をしました。
自分の家庭の事情もあり、安定した生活で幸せな家庭を築きたい、そんな気持ちが強かったのだと思います。
1年ぐらい勉強したら何とかなるんじゃないか、そんな気持ちで勉強していたからでしょうか受けたところすべて全滅。
そして悪いことは重なるもので、家庭のごたごた、そしてあげくの果てにはそのときに付き合っていた彼女にも振られる始末。
そのときは自分ほど惨めなやつはいないんじゃないかとかなり落ち込んだことを覚えています。
しかし人間強いもので落ちるところまで落ちると這い上がるしかなく、私は就職浪人をして再度公務員試験を受ける決意をしました。
そのときの生活がこれまでの人生の中で一番しんどかった時期だと思います。
相変わらずの貧乏生活、一杯のかけそばではないですが、一袋70円のラーメンを3人で分けてすすったこともありました。
そんなに苦しい生活をしているのに、自分は働かずに何をしているんだとものすごい葛藤がありました。
しかし、こうなった以上絶対に次の試験に受かるしかなく、大学受験のときと同様それ以上に必死に勉強しました。
そして何十倍もの競争率を突破し無事次の年の試験に合格することができたのでした。
こうして振り返ってみると、私は誰かに強く言われないと、また差し迫った状況にならないとホントの真剣さを出せないんですね。
弱い人間だと思います。
そして苦労して、家族を苦労させて入った就職先を8年でやめ、今自分の夢を優先させて創業することになっています。
幼い息子、そして私の独立を快く賛成してくれた妻、双方の両親のためにも死に物狂いでがんばらなければいけないはずなのに、どこか心の中で甘えていた自分がまたいたのです。
でもMさんのおかげで目を覚ますことができました。
これまでの2度の経験と同様に、今自分の中で何かが変わったことが実感できています。
強い意志、そしてコツコツした努力さえすれば成し遂げられる。
それがわかっているのだからやるしかないんです。
長々とわけの分からない文章を書いてしまいましたが、どうしても何かに記録しておきたかったんです。
また何かでつまづいたときのために。

この記事を書いた人

 

板羽 宣人

 

公務員から起業して、(株)ベビログという小さな会社を経営しています。Eコマース、電子書籍出版事業などWEBサービスの運営をメインにやってます。2011年から国内外で季節にあわせて家族で住む場所を変えて生活(ワーケーション)をしています。妻とイギリスへの高校留学中の息子の3人家族。
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